「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン作)の翻訳本は2つある。
新しい方が村上春樹訳で、古い方が本田錦一郎訳。
タイトルは同じだけど、2つを読み比べると印象がずいぶん違う。
原文で「木」は「her(彼女)」とあるから、村上春樹訳では木が女性の言葉づかいになっていて、
我が子を愛し続ける母親の物語と受け取る人も多い。
一方の本田錦一郎訳だと、
少年が大人になって木を「おまえ」と呼ぶシーンがあるから、木に「母親」の印象は無い。
となると木は一体誰なんだろう?
それからもう一つ。少年は成長し、最後は腰が曲がったおじいさんになるんだけど、
村上春樹訳では原文のまま「少年」(the boy)で通されている。
本田錦一郎訳だと、「少年」は大人になったら「おとこ」に替わる。
対人関係って、最初に出会った時の位置づけがそのまま続くところがあるから、
絵で見るとよぼよぼのおじいさんが「The boy」と称されるのもよくわかる。
木にとっては、人生にくたびれた年老いた男も、最初のまま変わらず少年に映るんだろうなぁ。
小学校の同窓会で、30年ぶりに再会した元教師と教え子が(もうどちらも白髪頭なんだけど)
やっぱり「先生!」「マー坊!」とか呼び合う感じに似ているでしょうか。
同じ本なのにこれだけ違うって面白いなぁ。