きょう発行の『大人のOB訪問』2巻に、盲学校の先生の話がある。
先生は「健常者が視覚障害者を助けようとしないのは、冷たいからとか思いやりがないからではなくて、
これまで周りに視覚障害者がいなかったからだと思います。何て話しかけていいかわからないから、
障害者に近寄らないんです」といった。
それを聞いて、腑に落ちた。
いま私が駅で白杖(はくじょう)を持つ人に声をかける理由がわかった気がした。
私は視力が0.1未満。メガネを外すと何も見えない。どのぐらい見えないかと聞かれると、
トラが近づいてきても気づかないだろうと答える。子どものころからメガネやコンタクトで、いまでも視力検査のさいごはランドルト環(Cのようなマーク)の開いた向きを想像して答える。
大学時代、同級生に白杖を持って通学するおかっぱの女の子がいた。
巣鴨にあったこぢんまりとした大学で、同級生の顔と名前は覚えられる人数だったから、キャンパスで彼女の姿をよく見かけた。通学路のひとつは、染井霊園という墓地を通って駅に出る道で、ある日、前をおかっぱの彼女が白杖をついて歩くのが目に入った。ちょうど墓地のあたりで声をかけて、軽く腕を組んでいっしょに帰ったことがある。親しくはなかったのに私はなんて声をかけたんだろう。並んで歩いている間、組んだ腕で彼女の体温を感じたからか、白杖を持って歩く人の気持ちを初めて考えた。片や白杖をついて毎日電車通学する彼女。片やメガネなしに家の中も歩けない私。自分がちっぽけに感じた。その後もたびたびキャンパスで見かけた彼女のことは、意外なほどいまでも記憶に残っている。
だから盲学校の先生の話にすごく共感した。私たちは日々出会う人々から良いことも悪いことも影響を受けるけれど、出会うことさえなかったら他を知りようがない。自分の10代をふり返っても、白杖を持つ同級生はあのおかっぱの女の子だけだった。
大学を卒業してから30年くらいが経つ。もう彼女の名前を覚えてはいない。でもいまも私は白杖を持つ人をみかけると、困っていないか見守る癖がある。